井山 敬介
【PROFILE】
Keisuke Iyama
1978年 北海道生まれ
幼少の頃から地元・富良野の雪に戯れて育つ。アルペンレーサーとして早くから頭角を現わし、札幌第一高校時代にはナショナルチームに所属、ワールドカップに出場するなど、数々の実績を残す。
2000年から技術選に参戦。
毎年着実に順位を上げ、2007年はみごとに初優勝、そして2008年には連覇を飾る。
全日本ナショナルデモンストレーター、ばんけいスキー学校所属
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■ 井山敬介 公式 BLOG

3歳になり、ますますやんちゃに磨きをかけているわが息子。
自我が目覚めたというか自分を持ち始めたというか。
先日、言うことをまったく聞かない息子を思いっきり叱りつけた。当然3歳になる息子はわが家の窓ガラスが揺れるほどに泣きわめいている。よくそんなでかい声が出るなと感心しながら、ちょっとやりすぎたかなと後悔しつつも、父親としての威厳を保たなければと必死になって息子に言い聞かせようとする。
しかし、情けないことにわが家ではそんな息子に一番効く薬は母親の存在なのだ。結局泣いている息子を妻に任せることにして僕はトレーニングに向かった。
今から3年半前、妊娠6か月になった妻から『今日病院に行ってきたよ~。お腹の赤ちゃんは男の子みたいだよ』とメールがきた。4か月後には父親になる、しかも男の子の父親になるのだ。不安と期待が入り交じり、どんな父親になろうかと考える。
「赤ちゃん言葉なんて絶対に使わないぞ!」、「息子にはベタベタしない!」、「スキーや野球、いろいろなことを一緒にやろう!」などなど、さまざまな父親像が頭のなかでぐるぐるとまわり、いつも最後は、「とにかく古き良き時代の威厳のある父親になろう」と眉間に皺を寄せて気合いが入っていたことを覚えている。
僕の父も僕たち兄弟には厳しかったように思う。以前に本誌のコラムでも触れたが、父はスキーの練習に関することにはとにかく厳しかった。その厳しさが今となっては優しさだったと思えるし、今の僕の肥やしになっている。
また、父はどんなことにも挑戦させてくれていろいろな環境に飛び込ませてくれた。そしてどんなときでも僕たちをバックアップしてくれた。だから僕も息子には好奇心旺盛にいろいろなことにチャレンジしてほしいと思う。
僕自身、小中学校時代はスキー以外にも、野球、ラグビー、陸上部の助っ人、バンドのボーカル、弁論大会、運動会では応援団長とリレーのアンカーなど、やるからには何ごとも全力でやってきたつもりだ。
そして、父はそのすべてをビデオカメラに収めている。実家に親族が集まるたびにそれを放映するのがお決まりなのだ。とくに進んでそれらに挑戦してきたわけではなく、あくまで借り出されたと僕は思っているのだが、そんな当時の僕の姿を観た妻はただの出しゃばりだと思ったかもしれない。
ただ、ビデオを観ていると、こうしたイベントごとには父よりもむしろ母のほうが乗り気だったのかな?と思うくらいに大きな声援が聞こえてくる。
今考えると、大きな決断のときにはやめることよりやってみるほうに賛成し、強くあと押ししてくれたのはどちらかというと母のほうだったように思う。何ごともバランスは大事だが、井山家ではどんなことにも効く一番の薬は、やはり母親の存在なのかもしれない。
夕方になり、家に帰ると、息子はいつもと変わらず「お父さん、おかえり!」と言って元気に迎えてくれた。僕の一喝などすっかり忘れてしまっている様子を見て、子供はホントに立ち直りが早いと感心する。
夕食を終え、いつものようにミニカーで一緒に遊んでいると、息子がいきなり「お父さん、怒ったのさぁ、ごめんねって言ってよ~。ごめんねしなさいよ~」と必死になって僕に言ってきた。
突然そんなことを言われた僕はびっくりして、思わず「ごめんね」と言ってしまった。すると息子は笑顔で「いいよ~」と答え、またミニカーで遊び始めた。
息子がなぜそんなことを言ったのかはわからないが、「悪いことをしたのは僕だけど、お父さんちょっとやりすぎじゃないのか?」とでも言いたかったのだろうか。ふとそんな気もしたが、さすがにそこまで深くは考えていないだろうと思うことにした。しかしながら、そこには息子が生まれる前から想像していた威厳のある父親像のかけらもなかった。
息子が生まれてからは、育てるってどういうことだ?威厳のある父親ってどんな感じ?と、毎日のように試行錯誤しながら「父親」という時間を過ごしている。気がつけば赤ちゃん言葉を使っているし、思いっきりベタベタもしている。
息子を育てながらしっかりと育てられている僕がいる。
威厳のある父親になることをあきらめたわけではないが、今は息子と一緒に成長していきたいと思う。わが家で一番に効く特効薬に頼りながら。
● 記事提供=月刊スキージャーナル