井山 敬介

井山 敬介
【PROFILE】
Keisuke Iyama
1978年 北海道生まれ
幼少の頃から地元・富良野の雪に戯れて育つ。アルペンレーサーとして早くから頭角を現わし、札幌第一高校時代にはナショナルチームに所属、ワールドカップに出場するなど、数々の実績を残す。
2000年から技術選に参戦。
毎年着実に順位を上げ、2007年はみごとに初優勝、そして2008年には連覇を飾る。

全日本ナショナルデモンストレーター、ばんけいスキー学校所属

井山敬介 公式 WEB
井山敬介 公式 BLOG

エスケーワン

小学校から自宅に帰ってきてすぐにスキーウェアに着替え、今は亡き祖父の運転する車に弟と乗り込みスキー場へ直行する。僕と弟はわくわくする気持ちを全面に出し、「行ってきまーす!」と元気に家を飛び出す。
「気をつけて滑ってくるんだよ! ケガしないようにゆっくり滑るんだよ!」と、心配そうに母が毎日同じ台詞を叫ぶ。

祖父の運転はかなりの安全運転で、自宅からスキー場まで10分もかからない距離なのに、「じいちゃん、遅いよ〜」なんて言っていたことが今では懐かしい。スキー場でみんなと待ち合わせ、学年に関係なく思いっきりスキーをしていた。ときには顔面が凍傷になっていることにも気づかないくらい夢中になっていることさえあった。

滑ることがすごく楽しかったし、何よりみんなと一緒に滑っているときが僕にとって最高の時間だった。

もちろんポール練習も楽しかったけど、コブのなかやちょっとしたパウダーをみんなで滑って、転がって、技術なんて関係なく、とにかく誰が一番カッコよく、気持ち良く滑ることができるのかといった具合にやっていた。

毎日そんな感じで夜遅くまでスキーで遊んでいると、学校の授業がたまらなくつまらなかった。授業中に大きな欠伸はするし、先生の話は上の空。そんな生徒がいたら先生もたまらない。

もちろん、そんな生徒の原因はスキー。

あれは小学校2年生のときだった。あまりにも僕の授業態度が悪かったために、担任の先生が何度も僕の母に「敬介君のスキーはほどほどにさせてください!」と言ってきた。だが、そんな言いつけを僕が守るわけもなく、毎日毎日仲間と一緒にスキー場へ出かけていき、冬休みになっても宿題をやらずに滑りまくっていた。

宿題の代わりに地元のスキー大会でもらった賞状やメダルを学校へ持っていき、「冬休み中はスキーをがんばっていました!!」と自信満々に先生に言ってみるが、僕の満々な自信とは裏腹に文武両道の話をこんこんとされるだけで終わる。先生に理解がないというのではなく、僕自身が小学校の勉強の大切さを理解していなかったのだと今では思う。

そんな感じで冬休みを過ごしてしまったものだから、平日のナイタースキーが禁止されそうになってしまった。これは大変だと思った僕は、まず母に「毎日宿題をするからスキーに行かせてくれ!」と頼み込んだ。そのことを母が先生に頼んでくれて、「漢字の書き取りとかけ算の計算問題をどちらか毎日やりなさい」ということになった。僕は算数が好きだったので、「かけ算の計算問題だけにしてくれ」と頼んでみたが、「調子に乗るな!」とあっけなく却下された。

こうして、かけ算の計算問題か漢字の書き取りを、毎日ノート1ページやっつけてからスキー場へ向かう日々を送った。これはちょっとした自慢だけど毎日欠かさずやった。というよりやらされていた。そのおかげで今でも2年生の漢字とかけ算は忘れていない。

その年の学年文集は、生徒たちに加え、生徒の親も作文を書いた。親子文集ってやつだ。母はその作文に『水を得た魚のように』という題名で、僕とスキーの関係を書いてくれた。内容は、よくここまで大きくなってくれたね、みたいなことと、スキーで学んだことを大切にこれからもスキーをがんばってね、みたいなことが書かれていた。

その作文を読んだ僕は、母が僕のスキーを反対していたのではなく、本当は応援してくれていたのだとわかった。と同時に、小学校2年生ながらにして母の偉大さを痛感した。

スキーを餌に宿題を僕にやらせた母と先生。

うまいことやられたなと思いつつ、今となってはふたりにとても感謝している。当時から僕にとってスキーは学校の勉強よりもなくてはならないものだった。

僕が今でもこうしてスキーを続けられることは幸せなことだ。小学生のときに滑っていた仲間とは今となっては一緒に滑ることはないが、当時の想い出は僕にとっては大切な宝物だし原点でもある。雪が降って、明日はディープパウダーだねっていう話を聞くだけでわくわくするし、整地されたきれいな斜面や深いコブ斜面を目の前にしてわくわくする気持ちは、あの頃と何も変わらない。

先シーズン、母が初めて技術選を観に来てくれた。スキー場で母の姿を見るのは何年ぶりだろう。決勝の朝、優勝争いをしている僕に母は、「気をつけるんだよ! ケガしないようにゆっくり滑っておいでよ!」と心配そうに言ってくれた。ゆっくりなんて滑れるわけないだろうと思いながら、僕は笑顔で、「わかったよ」と言ってリフト乗り場へ向かった。

緊張が少しだけ和らいだ。




● 記事提供=月刊スキージャーナル

井山敬介「神様がくれた雪山に感謝!」vol.3 水を得た魚のように
SKI journal 2008年1月号掲載
スキーヤーのためのスキー総合情報サイト 「スキーチャンネル」

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